ざっくりと私のハナシ。
今週のお題「自己紹介」
あらためまして、草薙ユーリです。
このブログにおいでいただいて誠にありがとうございます!
絵日記ブログなんぞを書いています。
………だけではあれなんで、私はこんな人間ですよってことを書いてみようと思いますw
毒吐き日本人形の呪い
見た目が大人しく従順そうなのにわりとズバズバものを言ってしまうタイプなのでよく驚かれます。
似てる芸能人は年齢へるごとに
民芸品一択かよ!
ちなみに「和服似合いそう」とはよく言われますが、チビなのに胸があるので、和服を着るとこの上なく天童よしみです。
すごく似合いません…。
子供の頃はクソ真面目で勉強はできるけど運動はド音痴みたいな典型的なガリ勉タイプでした。
昔から好き嫌いがハッキリしていて、動物が好きで、人間はあまり好きではなかった気がします。
でもコミュ障というわけではなかったので意外と「友達がいない」ということはありませんでした。
ていうか、クラスのボス的な子に気に入れらることも多く、タテついてもわりに許されてきたような気がする。
小中学校ではなぜか「裏番(裏番長)」(死語かよ)と呼ばれて「敵に回したくないやつ」扱いでした。
どんだけ性格キツかったんだっていう…。
自分の手からなにかが出来上がるとか育っていくとかが好き
熱しやすく冷めやすいので、趣味は多いです。
本が好きで、マンガ、小説、ルポ、ビジネス書のたぐいや絵本まで、わりとなんでもよく読みます。
小さいころから絵もよく書いていたのですが、正直マンガ絵はあまり得意じゃないです^^;;
それ以外では手芸は全般得意です。
編み物は棒針、かぎ針、レース編み、裁縫はぬいぐるみから始まってバッグや洋服をちょこっと作れるくらい。
DIYも棚くらいなら材料買ってきて作ります。
一番の大物はベランダの板壁かな。
minneで販売したこともあったのですが、いつ入るかわからない注文とそれに即応しなきゃいけないストレスでやめてしまいました。
コミュ障ではないと思うのですが、メールとか電話とか苦手です……。
人と会うことは好きなんですが、媒体を介したコミュニケーションはあまり得意じゃありません…。
あと、植物から動物まで生き物が好きです。
(虫以外。特に蝶と蛾のたぐい)
子供のころから金魚やメダカ、どじょうから、うさぎ、ハムスター、犬、猫など家に生き物がいないと禁断症状が出ます。
一昨年12歳でさいごのうさぎを見送って以来、同居人はリクガメです。
(息子と夫がアレルギーもちのため)
……ああ、犬か猫が飼いたい……
運動神経がないので、基本的に座ってできることが好きなのですが、唯一の例外がスキューバダイビング。
沖縄はじめ南の島が好き。
殺伐→殺伐からのジェットコースター
産まれは千葉県で、埋め立ててできた街で育ちました。
コンクリートのブロックみたいな住宅が立ち並ぶ…というか、コンクリートのブロックしかないよ!?みたいな町です。
なにせ周り4つの小学校学区全部がこのコンクリートブロック住宅のためだけみたいな感じだったので。
当時「一戸建て住宅」って憧れでした。
だってみたことなかったんだもんw
野犬がいたり殺人事件なんかもけっこう頻繁で、今思えば控えめに言ってもあんまり治安がよくなかったですね…
でも(当時は)マジメっ子だった私はそんなこと気にする余裕もないくらい子供たちのあいだのサバイバルに必死でした。
というか正直子供の頃は同年代の子供たちが嫌いでした。
私自身は友達と思っている子なんて片手で数えられるくらいだったのに、引っ越し&転校が決まってやたらと「ユーちゃんがいなくなったら私の居場所がなくなる」的なことを言われて驚きました。
あんたの居場所になるとか勘弁してくれよと。
とてもひねくれた子供だったことは確かですねw
その後10歳のときに親の別居で神奈川に引っ越し、「転校生」ってやつを経験しました。
これであの殺伐から逃れられる!とウキウキだった私ですが、そこで待っていたのもそりゃもうすさまじい殺伐っぷりでした。
無視、悪口なんか序の口で、机に「死ね」って落書き、上履きがなくなるなんて日常茶飯事。
担任がセクハラサイコパスみたいな気持ち悪い感じだったので、子供なりにいろいろ訴えたのですが何も変わらず。
私自身は直接標的になったことこそなかったけれど、元の性格がキツく長いものに巻かれるのが嫌いだったため、思いっきり巻き込まれてひどい目にあったりもしました。
中学に入ってもそれは変わらず。
とにかく「ヒエラルキーの外にいる」ことだけに神経を使ってたような気がします。
正直小学校中学校時代は思い出したくもない感じです。
高校は進学校にすすんだため、一気にそういうめんどくさいことから解放されて楽になりました。
初めて好きな友達がたくさんできた場所でした。
しかし、今度は親に敷かれたレールの上を全力疾走していた子たちがどんどん壊れていくのを目にする羽目に。
「人間のココロってなんなのだ?」ていうところから心理学を志しました。
必死で勉強して当時すさまじい倍率だった心理学部になんとか現役で滑り込みました。
(レベルはそんなに高いとこじゃないです)
でも同時にそのころから「好きなことやって生きてる大人」(小説家、大学教授、研究者 etc…)との出会いで、「もっとこんな人たちから学びたい」と思うように。
心理学自体はけっこうおもしろかったんですが、同時にまどろっこしくもあり、入った大学はなんていうか「ベルトコンベアー」みたいだったんですよねー。
決められた授業を受けて自動的に排出されていく、みたいな。
考えるより知識を与えられる系の授業ばかりだったというか。
で、やめることにした。
大学辞めて、新たに知識をいれつつ人に触れつつ考えることができる大学を受けなおすことにしました。
親に頭下げました。
そんなこんなで入った大学はめちゃくちゃ楽しくてエキサイティングでした。
昼休みになると広場にDJセット持ち出してゼミ生とディスコ始める教授がいたり、学生も年齢どころか性別も不詳の人とか、民族衣装や学ランマント下駄がデフォ装備の人とかモヒカンとか普通にいました。
一般常識的にはちょっと狂ってるレベルの人たちがデフォみたいな大学でした。
私も教授室をたまり場にしてゼミ形式の授業ばっかり熱を上げて本当に好き勝手にいろんなことを学びました。
教授たちだけじゃなく、非常勤の講師や講演に来たいろんな分野のプロの人たちにもかわいがってもらってました。
でも、就職には興味なかったw
それでも卒業ギリギリに好きな動物関連ということでベンチャー企業に潜り込みました。
が、その会社は4か月でつぶれw
その流れで大学時代から付き合ってた現夫と結婚。
今小学五年生になる息子と三人暮らしをしています。
今も新しいことを見たり体験したりすることが好きで、ブログもそのこころみのひとつです。
小2からJPOPにはまった息子の影響でまた音楽を聴くようになって、昨年はセカオワのライブに息子と二人で行ったりしました。
現在はキングコング西野さんとか、「あの村プロジェクト」など「村を作る」活動に支援して見たり参加を検討してたり。
いずれ私も……!というのが今の野望ですw
ワンオペ育児だったり震災だったりママ友だったり、サイコパス夫の洗脳から逃げ出すママ友の手伝いをしたり、息子の不登校だったり…
母「あんたも飽きない人生ね~」
息子「お母さんって、はっきりいわなくてもヘンな人だよね?」(親に思う?普通そういうことー)
ということらしいので、ひとつひとつ書いていってみようと思います。
よかったら私の思い出話におつきあいくださいませ^^