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「いい子」という病と壊れていく優等生たち~低年齢詰め込み教育の功罪

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まず言っておきたいのですが、子供に勉強させることがダメと言っているんじゃありませんよ!

 

うちも

 

 こんな感じですので…。


勉強は大事です。


ただ、子供を優等生にしたくて早期からの詰め込み教育をするのは、時として子供に甚大な、それこそ下手すれば人生を棒に振るレベルの甚大な被害をもたらすことがあるということを、親は知っておいた方がいいのではないか、という話です。


もちろんほとんどの親御さんがバランスをとっていらっしゃるのは承知の上で、自分の見てきた子たちの話をさせてほしいんです。


というのは、高校で壊れていく元優等生たちをそれなりの数見ていたからです。


以前の記事の

 

 

 

このコタちゃんだって、そう。

 

この子のコミュ障は明らかに親の管理の賜物でした。

 

 

 

コタちゃんがコミュ障だった理由


私が高校で出会ったコタちゃんはコミュニケーションが取れない子でした。

 

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でもそれはもともと彼女が持っていたものではなかったんですよね。

 

場面緘黙発達障害など、(脳や神経も含めての)身体的な理由でできないのであれば、アルバイトをしたとしてもあそこまでの劇的な回復はなかったでしょう。


確かに彼女のがんばりはすさまじく、素晴らしいものでしたが、人間、出来ることとできないことっていうのがある。

彼女はもともとコミュニケーション能力はちゃんと持っていたんですよ。

 

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しかしなぜ、ああまでコミュ障だったのか。

黙ってただひたすらくっついていることに疑問を覚えなかったのか。


それはやはりコタちゃんの家庭の事情がとても大きかっただろうと思っています。


コタちゃんは、「子供は勉強することが第一であり、余計なものは排除すべき」と考える家の子でした。

 

もちろん子供に勉強させることに一生懸命になることは悪いことではありません。


子供の可能性を広げるうえでも、視野を広げるうえでも、勉強はとても大事です。

 

ただ、コタちゃんちがよそと違っていたのは、勉強のために遊びや友人などもすべてムダだと禁止したことにありました。

 


友人も遊びも禁止。勉強だけしていなさい


コタちゃんは、「子供は勉強することが第一であり、余計なものは排除すべき」と考える家の子でした。


マンガやゲームはおろか、ほとんどの映画や友達との遊びまで禁止し、遊んだりマンガを読んだりゲームをする子を見下して「あんなのとは付き合うな」とやっていたわけです。

 

子供は勉強だけしておればいい、好きなことはいい高校に入ってからやればいい、という家庭だったんですね。


コタちゃんは三年で卒業するまで、「趣味がない」「やりたいことがない」「みんながうらやましい」とずっと言っていました…。

 

「いい子」という危険性


ふつうはこのような要求にはいくら子供だからと言って従いません。

 

たいていの子は、小学校中学校までに反発して親と大喧嘩をするか、自暴自棄になるか、その両方か…

いずれにせよ大人しく勉強なんかしていないでしょう

 


ただ、コタちゃんはおとなしくて優しい子でした。

親が恥じたり悲しんだりすることをしたくなかった。

だから、この方針が成功してしまった。

それは彼女にとっては不幸なことだったんじゃないかと思うのです。


コタちゃんは逆らって怒られたりいいなと思ったものや人、さらには自分自身を、親に蔑まれるのがイヤだった。

そしてもう、それを望んで親と衝突すること自体が、面倒になってしまった。


それこそ小学校に入る前からそういった環境にあって、ろくに友達も作れず、楽しいことはみんな蚊帳の外でした。


コタちゃんにとっての「世界」


彼女にとって、自分の外の世界というのは、自分に直接関わることのないモノだったんですね。

 

周りがどんなに楽しそうでも、ケンカしてても、それが彼女に影響を及ぼすことはなかったし、彼女が影響を及ぼすこともなかった。

 

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もちろんコタちゃんだって本当は寂しかったし、仲間に入りたかった。

 

でも、親への遠慮や「高校に行ったら好きにしていい」というエサの前に、自分を閉ざし続けることを選んでしまった。

 

コタちゃんはおそらくずっと、自分の内側から薄布の向こうに「あっち側の世界」を眺めているような感じだったんだろうと思うのです。

 

だからアルバイトで、自分の外側の世界に影響を及ぼし及ぼされざるを得なくなって、その紗が取っ払われた結果、あんなにも鮮やかに変身することができたんじゃないでしょうか。

 

だまってただ形ばかり一緒にいることで満足してしまっていたのも、「自分がアクションを起こして相手に影響を及ぼす」ことのイメージがなかったからだったと思うのです。

 

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壊れていく優等生たち


うちの高校は進学校だったのもあって、コタちゃんの家のような例は少なくありませんでした。


もちろん黙ってひっついて歩くような子は他にはいなかったけれど、

他人との距離がつかめず人間関係をうまく構築できない子、

不登校になる子、

うつ病になる子、

自暴自棄になって性的奔放になってしまう

など、壊れてしまっている子や壊れていく子をけっこうな数目にしました。


私の見てきたそういう子のほとんどが、今まで「親の敷いたレールを必死で走ってきた」子たちでした。

 

たとえば

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この子もそうでした。


幼いころから青いリュックを背負って進学塾に通わされ、遊びや好きなことは否定され、友人も進学先も親が決める。

(有名女子大付属中からのドロップアウト組でしたが、そのせいで親との関係はすこぶる悪かったようです)

 

とにかくいい高校、いい大学に入れ、好きなことはそれから考えろと言われてきた。

 

そしてそういう親を、反発することはあっても結局あきらめ、受け入れてきた子たち…。


彼らがだんだん、あるいはある日突然、目の焦点が合わなくなったり悲鳴を上げて失神したりするのを私は日常的に見ていたんですよ…。

 

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幾日か休んでるな、と思ったら「胃洗浄はもう二度と嫌だ」と言い出したり…。


※胃洗浄=体に害のある薬物などを胃に大量の水を流すなどして洗い流す医療処置。
睡眠薬などの薬物大量摂取自殺を図ったときなどにとられる。

 

 

朝会ったら突然目の焦点が合わなくなっていて

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普通におしゃべりして笑ってたのに急に涙を流しだしたりとか…

 

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しかも本人は気づいてなかったりする…。

 


もちろん同じクラスの子でも知っている・気づくのは少数でしたけどね…。

 


うちの学校は公立高校で規則もゆるく、先生たちがハッパをかけることもあまりありませんでした。

 

だから、ほとんどの子はおおらかに(そんなことが起きているなんて夢にも思わず)過ごしているんですよ。

 

むしろ、ほとんどの子は、自分がなにがしかを成し遂げてきた自覚があるので自己肯定感が高く、ポジティブです。

 

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中学とは全然空気がちがって、とても前向きな子が多かったですし、精神的にも格段に大人っぽい子が多かった

 


それでも、人知れず壊れていく子がクラスに一人、二人はいるという状態ではあったのです。

 


親に都合の「良い子」

 

うちの高校にくる子はほぼ全員が優等生だった子たちなんですよね。

成績上位で、かつ内申もいい子たち。


それでも親のタイプ、家のタイプはさまざまでした。

 

似たようでも全然違うというのが難しいところではあるんですが、それでもおおむね2タイプに分けられるのが、


自由に様々な子と関わり、経験してきた子


親の言うとおりにひたすら勉強してきた子

 

でした。


後者の、親の敷いたレールを走らせようとする親に高校まで従ってしまうような(優しい)子はかなり危ないと思っています。


一見すればだれよりも「いい子」です。

親の自慢の子、都合の「良い子」。


たとえ高校まででドロップアウトしなくても、大学、社会人になっていく過程のどこでそれが爆発するかわからない。


「良い子」は他者でなく自分を傷つけてしまう


前にも「いじめがなかった」と書きましたが、

 

 
普通の子には進学校はおだやかでいい環境でも、一方でそこここに地雷と闇が埋まっている状態でもあったような気がしています。


他者を攻撃する子は確かにとても少なかった。

 

家庭のストレスでいじめをしてしまうという話がありますが


いじめるのが他人か自分かの違い

 

という側面もあったと思うのです。

 


親の敷いたレールに付き合ってあげてしまうような優しい子は、親や他者ではなく、自分を壊してしまうんです。

 

 

 

健全に「勉強ができる子」とは?

 

勉強は机にかじりついてするのがすべてじゃない


誤解をおそれずに言うならば、子供に極端な規制を強いて勉強させようとしてしまう家の親は、自身はどちらかと言えば勉強は得意でなかったケースが多いような気がしています。

普通のサラリーマンとか教師の子、多かったな…。


公立高校だったんで、医者などのいわゆるハイクラス層がそんなに多くなかったということもあるかもしれないのですが、医者の息子とか、研究者の娘とか、かなり自由な育てられ方をしていた印象です。


今でも息子の友達を見ていてあれは窮屈そうだなと思うような子のお母さんから「自分と同じ失敗はさせたくない」というのをけっこう聞きます。


地域性もあるかもしれませんが、近隣の幼稚園を見ても、医者などのハイクラス層に人気があるのは自由保育系の幼稚園で、お勉強園はとても若い親御さんに人気です。


なぜならいわゆるハイクラスの大学に入って成功をおさめているような人は「勉強は机にかじりついてするのがすべてじゃない」ってことをよく知っていることが多いからなんだと思うんです。

 


「あの頃もっと勉強していたら」は妄想


「ガリ勉」という言葉が示すように、一般的に成績が良い子は、特別な力があるか、ひたすら机にかじりついて勉強しているからだろう、と思われがちではないでしょうか。


もしあのとき遊んだりせずにもっと机に向かっていたら、自分はもっといい地位につけていたんじゃないか、と思っちゃうのはわからなくはないですよ。

想像だけなら、どんな苦行だって「やったつもり」になれますからね。

 

でもね、


そんなものは妄想です。


それにね、勉強でもなんでも、やらなかった人はやらなかったぶん別の何かを得ているはずなんですよ。

 

時間は平等なんだから、その時間に勉強をしなかった人は、友人なり遊びのスキルなり、趣味なり、別の何かを得ているはずなんです。

 

その「なにか」を無駄にするかしないかは、その人次第なんです。


その「もし自分がやってたら」を現実にしようと子供をガッツリ拘束してひたすら勉強だけさせてたらね、本来その時間に得られるはずだったものを、子供からガンガン奪ってしまうことになるんですよ。


もう一度言いますが、勉強させたら本来必要なものを取りこぼすよ!という話ではないですよ。


バランスの問題なんです。


そしてそれ以上に、子供の意志を無視して親のやり方を押し通してはいけないという話です。

 

(まれに勉強大好きでもう勉強だけしてたい!という子がいますが、それならまったくかまわないんです。)

 

 

「地頭のよさ」の正体

 

成績優秀な子がみんな長時間机についているかと言えばそうではないです。

 

ほとんど勉強なんかしなくても「え、80点とかどうやってとるの…?」という子もいますよね。

 

高校の陸上部の先輩で、3年生の10月まで国体に出ていて、予備校にも行かず、東大にストレートで受かった人もいました。

(この人はさすがに規格外ですが…)


「地頭の差」「もともとのデキの良さの違い」だなんてよく言われますが、その「地頭」ってなんなんでしょうか?


もちろん多少は遺伝的に記憶するのが得意であったりということはあるかもしれませんし、特別能力の高い人(その先輩みたいな)はいます。


でも、ほとんどの子はそうじゃないです。


そりゃ、周りの子よりは机に向かっている時間が多少長いかもしれない。


でもそれも含めて、実はこれは先天的に持っている脳や遺伝子の問題よりも、好奇心を持てるどうかが一番大きな要素なんですよ。


「勉強が楽しい」子には「ガリ勉」はかなわない


学ぶことをおもしろいと感じているかどうか。

学ぶことと日常がリンクしているかどうか。

その上で、勉強して高得点をとるというゲームを楽しめるかどうか。


例えば趣味のことなら、やること自体も苦痛じゃないですし、自分でもっと良くなるように工夫するし、なにか達成できたらうれしいからまた努力できます。

日常の中から、その趣味に役立つこと、関連することを発見できることもあるでしょう。


逆に、嫌で仕方ない仕事は行くまでが憂鬱だし、効率も上がらないし、頼みの綱は仕事にいかなくて済む!という週末の解放感だけ。


どちらの方が頭が働きますか?

一生懸命になれますか?

 


それと全く同じなんです。


楽しんで前のめりに学習しようとする子に、義務感だけで勉強してる子が敵うはずないんですよ…。


この差をそれこそ「机にかじりついて」埋めようと思ったら、そりゃもう圧倒的な作業量が必要なんです。


机について勉強する前にこの好奇心の土台ができていなければ、おそろしく効率が悪く労力は何倍にもなり、ストレスと無力感だけを蓄積していくことになります。

 

「こんなに必死でつらい思いしているのに、ノホホンとしてるあいつに抜かれるなんてやっぱり自分は頭が悪いんだ…」


必死に頑張った結果、自信を失うなんて、こんな非効率的なことはないです。


1から10まで机で勉強させることは、それが身につかないだけでなく、本人の心身を削る害悪にもなりえます

 

好奇心は「好きなこと」でしか育たない


嫌いな人、嫌いなもののことを詳しく知りたくなったりしますか?


好きな人、好きなもののことは、どうですか?


基本的に好奇心というのは「好きなもの」にしか働かないものなんですよ。

 

 だから、好奇心を育てるためには、いかに本人が楽しい!と思うことをさせるか、それに没頭させてあげられるかなんです。

 

どろんこ遊び?洗えばいいじゃないの、させてあげなさい。

木登り?目を離さなきゃ大丈夫、挑戦させてみなさい。

料理をしてみたい?失敗してもいいからやらせてみなさい。

 

こういうのが大事だって言われるのも、そういうことなんですよね。

 

本人が興味を持ったこと、楽しかったことからしか、探求心は生まれません

禁止ではなく、むしろ小さいうちにどれだけやらせてあげられるか、それが一番大事。

 

興味を持ったことについて知ること、発見すること、そして、その知識を使ってさらに一段上の段階へいけること…。 

そういう知的好奇心をともなった快感が、勉強のモチベーションになっていくんです。

 

スポーツだって音楽だって、虫取りだってお絵かきだって砂場遊びだって、モノはなんだっていいんです。

 

たとえ大人には無意味に見えることであっても、そこで培われた感覚はその子の知を支える土台となっていきます。

 

遊びを禁止して勉強だけさせるというのは、この土台を作る貴重な機会を根こそぎ奪ってしまうんですね。

 

そんなの当たり前でしょ?だからこんなに育児に苦労してるのよ!!という方、ごめんなさい。

ほとんどの方はそれをやろうとして、でも現実の壁の前で葛藤しているのはわかっていますし、私もそうです。

完璧になんて無理なんですよね。

「できる範囲」で十分だと思うんです。

 

だけどね、すみません、これ、言っても全く理解してくれない人って一定数いるんです。。。

 

 


勉強した「その先」を考えられるかどうか


新しいことを知ること、そしてそれに喜びを覚えるような感覚と、それを使って知識を高めるという快感をまず形成しないことには、勉強は苦行でしかないんです。


さらに、勉強することはゴールじゃないですよね。

 

いい成績をとるということもゴールじゃないです。

 

いい高校や大学に入ることも決してゴールじゃないんですよ。


それを使って将来何を成せるか、自由に生きられるか、がゴールなんじゃないでしょうか。

その先の人生のほうがずっと長いんです。


自由に遊びを謳歌してきて、好きなことからたくさんのことを学んできた子は、自分の得意なことや好きなことをよく知っています。


勉強のその先にある自分の人生をイメージすることができます

だから、そのイメージに向かって自力で走っていくことができます。

 

しかし親に目標設定をされ、ずっとわき目もふらず馬車馬のように走ってきた子は、将来がイメージできません。

だって、そんなこと許されてこなかったんだから。


なにもないところに向かって馬車馬のように延々走り続けることは、普通できないものなんですよ。

あるいは親の理想の「将来」に向かって必死で走って来て、そしてあるときふと気づく。

あれ?私はなんでこんなものに向かって必死で走ってんだっけ…?


そりゃ精神病みますって…。


たとえそれで当座(高校や大学への入学)の目標を達成したとして、そういう子が「じゃああとは自由にやっていいよ」と放りだされたら…?

どうしていいかわからないですよ…。


そこで初めて自分が今まで手に入れられなかったものの大きさに気づいてしまうんじゃないですかね…。

 


正直、コタちゃんもかなりきわどいところにいたんじゃないかと思っています…。


家で何してるの?って聞いたら「ずっと寝てる」って言っていました。


他の子もそうでしたが、精神疾患を発症しかけている子はすごい寝ます。

授業中もずっと寝ていたりします。


まあ、徹夜で勉強しているというケースもあるので一概には言えないんですが、体が現実を受け入れないように防衛反応を起こしているためだと思うんですよね。


高校在学当時、「(今までそうじゃなかったのに)やたら寝てばっかりいるようになったら危険」というのはもう友人たちの間では常識のようになっていました。


そういう子が、しばらくすると目の焦点が合わなくなっているっていうの、何度もみましたもん…。


鬱は不眠からというのはよく言われていますが、過眠も同じように危ないのです。

 


たとえいい高校、大学に入っても、精神的に壊れてしまっては何にもならないんですよ…。

 

 

最後に


私の大事な友達をそこまで追い込んでおいて、

「精神科に通うなんて親に恥をかかせて、おまえは恥ずかしくないのか」

と言い放ったその子の親を私は一生許さないですよ。


もちろん時代もあるんでしょうが、子供のことを思っている親から出るセリフじゃないです。


子供のころからやりたいことはみんな我慢して、親の言いつけ通り必死で頑張って、そして親にかけられた言葉が、これ。

 

 

子供は親から見捨てられれば進学の道が閉ざされます。

確かに親に尻を叩かれてではあったけれど、今までがんばってきたのは自分です。

 

親から「なら学費は出さない」と言われてしまったら、そのがんばりは全て無駄になる

少なくとも子供はそう思っています。

 

親に反抗するためには、全人生を天秤にかける必要があるんです。

彼らはずっとその葛藤を抱えていました。

 


子供には子供の人生がある。

親の使い捨てのおもちゃではありません。

 

 

誰も彼らの轍を踏まないでほしい。

 

本当に、そう願っています。

 

 

 めっちゃ長くて絵も少なくて済みません。

でもきっとこれ、最後まで読んでくれた人はもうそんなことわかってるって人なんだろうな。

ほんとに届いてほしい人には届いてない感ありますよね。こういうの…。

 

 

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